「筋肉よりも骨をつかえ!」という本から役にたつ内容を抜粋しました。
本を読み重要だと思った考え方と僕の取り組みを交え、 抜粋を交えて共有します。
腹筋の弊害
「なぜ腹筋をやったらダメなんですか?」ってよく聞かれるんですが、「じゃあ10回腹筋をやった後、腕を回してごらん」って言うと、全然回らなくなるんです。
お腹ほぐしで「お腹がゆるんだから、腕や脚を使わないでも、内臓の重みで、体幹の重みでスーッと前に進んでいけるんだよ」って説明しているんですが、実際、こちらのほうがずっと腕がまわるんです。
身体の変化を体感してもらい、これまでの呪縛をほどいていけば、議論をしなくても腹筋の弊害がわかってくると思うんです。
「誰々という強い選手がやっているから」と言ってやっている人は、こうした身体の声を聞いていない。腹筋をやることで身体が逆に硬化し、肉離れや炎症、ケガに泣かされてしまっている現実にも気づけないんです。
腹筋を固めてしまうと、動作の要にある大腰筋が使えなくなってしまうんです。表層の筋肉をガチガチに硬くしてしまうことで、肝心のインナーマッスルの動きが制限されてしまうんですね。
走り方・脱力・力
尾骨から動物のしっぽが伸びている状態をイメージしてから走ってもらっていますが、たったこれだけのイメージで、自分の身体にこんなにすごい力があったんだっていうくらいのパワーが出る。
片足立ちも太いしっぽが天に向かって伸びている状態をイメージすると安定し、ぐらつきはなくなります。
仙腸関節から身体を動かす動作に通ずるものがあります。
できるかできないかを判断しようとするからできない。緊急時にはそんなこと言っていられない、判断する間がないから火事場の力が発揮できるアスリートがミスをすると、コーチはよく考えろ!と声をあげるが、アスリートが目指しているのは考えることではなく、考えないことだ
緊張が抜けてまぁいいやぐらいの方が力感なくパフォーマンス高くなる。
ボルトの走り方→鎖骨の片側が上がった時、同じ側に首を曲げることで、うまくバランスを取っていたと思うんですね。詳しい人に話を聞くと第二頸椎のあたりのようなのですが、この部位がゆるむと骨の詰まりがなくなって、振り子みたいに頭が動かせるようになる。
むやみに腹筋や腕立てをやるよりも、このような微細なシステムの続御を訓練するほうがよっぽど速く走れる。
多くの現場はウエイトトレで太くした腕や脚で重い身体(体幹)を一生懸命動かそうとする。おまけに、地面を強く蹴るように指導されているため、接地の瞬間、筋肉が収縮し、動きが阻害されてしまう。こんなやり方ではケガの不安がつきまといますし、そもそも日本人が筋力をいくら肥大させても、体格の違う外国の選手に勝てるはずはない。
キーポイントは肋骨
体幹の柔軟性、肋骨の動きがカギになる。
右利きだったら右の肋骨、つまりクワガタの右のハサミだけを動かすようにイメージすると、それだけで相手がポーンと投げられてしまう。あばらをほんのちょっと意識するだけ、つまり、肋骨が身体の動きにちょっと参加してくれるだけで、腕力だけでは出せないパワーを発揮できるようになる、それが体幹の力。
コツをつかむことは、文字通り、「骨をつかむ」ことだと思っているのですが、骨ストレッチで身体の節々を押さえるのも、身体の末端(手足)と中心(体幹)をつなぐ「パワールート」を生み出すためだと理解しています。骨を押さえることで、末端部の刺激が身体全体に伝わりやすくなるので、身体が効果的にほぐれ、どんどん軽くなっていく。
肋骨を「助ける骨」と解釈し、私のところに来るアスリートに「動きを助ける骨なんだから、もっと肋骨を使ったほうがいいよ」と教えているのですが、これはすべての骨に言えること。
通常は、ケガをすると鍛え方が足りなかったといって筋トレなどで補強する、柔軟性が足りなかったからだとストレッチをする。そうやって身体の特定の部分ばかり肥大化させ、浪費させ、ますます身体を硬化させてしまう。その結果、思うように動けなくなっていく。
壊れない身体とリラックス
やっていることが面白くて、希望が見えてくれば、普通以上に稽古をしても身体は平気なものなんですよ。身体が壊れるということは、嫌なことを無理してやっているからです。「これはおかしいよ」と身体が示してくれているのに、それを我慢して延々とやっているわけですから、どう考えても馬鹿げていますよね。
厳しい練習であっても、それと積極的に向き合っていれば身体も壊れにくく、得るところも多いということでしょうね。第一、脅かされて練習しているんだとしたら、家畜が鞭で打たれているような状況と同じ。
普通の人は、そんなふうにゆるんでしまうと闘争心もなくなって、勝負ができなくなってしまうと思うかもしれませんが、そんなことはまったくありません。無駄な力を抜き、骨から動けるようになれば、かつての自分が信じられないくらいの力が出せる。
スポーツの試合でも「リラックスしろ」って指導者がお決まりのように言いますが、普段の練習で身体をガチガチに固めてしまっていたら、試合でリラックスなんかとてもできないですよね。 急に笑えって言っても無理でしょう? こういう矛盾に気づいていない指導者が山ほどいて、選手は振り回されている。
身体のことを本当に学びたい、もっと動けるようになりたいという人たちは変わっていきますが、かたくなに自分の世界が正しいと思っている人は、残念ですが行き詰まっていく。
ピアノを弾く時も、料理で包丁を持つ時も、手のひらを上にしてから返したほうが身体の緊張がとれる。手のひらを1回上にしてその後に握ると、筋肉の無用な緊張がなくなり、手先と体幹がつながりやすくなる。
パーツを繋げる・常識を疑う
筋肉の硬くなった部分がほぐれ、骨組みが動かせるようになってくると、深部にあるインナーマッスルも動く。身体の使えるパーツが増えてきて、いろんな動きができてきますよね? そうやって自分の身体と向き合っていくと、いままで自分の外側に求めていた答えが内側にあることが実感でき、自分の生き方にも自然と向き合えるようになってくる感覚があります。自分がなぜこの仕事に取り組んでいるのかと問いかけると、自分のなかから答えが出てくるというか……。自分と向き合うことで出した答えって、納得がいくというか、まさに腑に落ちてくる。
一流のスポーツ選手は、いまよりも成績が落ちると困るから、これまでの常識と違うことに出会うと腰が引けてしまう。なかなか現状維持から脱け出せない。何らかの看板を持っている人、権威を持っている人も、自分の言っていたことと違う事実がわかっても変われない。自分の立場が危うくなる、非難されることへの懸念が先立って、見て見ぬ振りをする。いくら肩書きが立派な人であろうと、それはもう不自由なこと。
野球に限らず、何でもかんでもアメリカが最先端、アメリカに学べというのは馬鹿げていますよ。 日本の陸上界でも、アメリカに合宿に行ったらおかしくなった、成績が落ちたというケースは多いですね。腕を振る角度がこうだとか、筋肉がどうだとか、そういう理屈っぽいことばかり言われて、肝心なことは教えない。最新の科学的トレーニングと言ったところで、結局は、生まれもった身体の大きさに頼った、力まかせの走りを教えているだけですから、過大評価するのはおかしい。
身体は筋肉の収縮によって動くというのが常識ですが、私も野口先生の影響か、「まず骨が動いて、筋肉はそれに従う」、要するに筋肉の動きは随伴運動に過ぎないという感じがする。
意識・教育
「ここを意識してこういう力が入るとこういう動きができる」って、マニュアルのように考えてばかりいるから、身体にゆだねられない。身体で覚えることがますます難しくなってしまうんだと思います。何しろ現代は、感覚を軽視して、科学的であることを優先させていますからね。
いい人材を育てていくには、下手に熱心な指導を行ったりするより、選手のやる気を出させ、後は放任主義でいるほうがよっぽどよかったりするわけですからね。
ウエイトも体幹も栄養もやらない桐生祥秀。余計なものを削ぎ取って、素の状態に戻ることが大事なんです。最後に素のものが残りますから、それが活かせたら、ただそれだけで走れちゃうんだよと。本来の自分に還るということですから、桐生君だからできる、才能があるからできるというものではない。
動ける身体がキープでき、磨かれている感覚があるからこそ、ワクワクと楽しみながら好きなことがやれるんですね。そんなふうに変化していく人たちを間近で見ていると、メンタルをトレーニングするっていう発想自体、どこかずれているんじゃないかと感じてしまいます。
良い身体感覚・悪い身体感覚
普通の人は膝の下を一生懸命動かして、それがピッチだと思っていますが、体幹全体がふわーっとラクに動くわけですから、同じピッチでも移動距離が根本的に違ってくる。
陸上の世界では、頭上から糸でピンと吊られたような「軸のある立ち方」がいまだにすすめられることが多いんですが、このやり方だと身体全体が緊張してしまい、体幹の重さが活用できません。そうではなく、頭の重さで背骨に刺激を入れて、自在に動かせる状態をつくる。そうやって体幹を動かしやすくすると、内臓の重さで重心も安定する。これが「ハラの据わった」「腑に落ちた」状態だと思うんです。
走った後に腕をまわして心地いいかどうか、前屈するとしっかり曲がるか、息が上がってないか……。そういう誰でもわかるチェックに合格できた時、身体がOKしてくれたと判断するわけです。 逆に、腕をまわしたら重たくなった、前屈したら硬くなった、すぐに息があがった……そういう結果しか得られなかったら、身体は「いまのはダメだよ」と言っているんだと。「筋力だけで無理やり走っているのを、身体に注意されているんだよ」と、そういうところから指導。うまく動けない時というのは、身体がもう「嫌だ、嫌だ」って言っている。そうやってサインを出して、それ以上興味を持たないようにしているんです。 嫌だからやらないという、とても単純なことなのに、いまの人はそういう感覚を曖昧なものだと遠ざけ、頭で無理やり頑張って生きようとする。
五本指ソックスは浮き指になっちゃうんです。ソックスをピッと強く履いてしまう人が多いんで、5本の指が反ってしまう。指が反ると接地の時に指が使えませんから、足の裏の筋肉(足底筋)が張るんですね。酷使すると足底筋膜炎になってしまう。
硬さ・鎖骨
「この硬いのを取りましょう」という感じで硬化を取っています。 あるいは、肩のあたりが詰まっていると、腰が前に出なくなり、代わりに脚を使って体幹を動かさなくてはならなくなります。ですから、肩のあたりを触って、僧帽筋が硬いのか、三角筋が硬いのか、大胸筋が硬いのかチェックしながら、ほぐしていく。
筋トレで筋肉を肥大化させることと、「俺が、俺が」みたいな者が増えてくることは、本質が同じなんですね。ですから、そうしたトレーニング法は、東に行こうとして西に行っているようなものですから、いくら熱心にトレーニングをしても、その熱心さの割に上達しないという、残念な結果になってしまう。
親指を握って腕をまわすとすごくまわりにくくなりますし、うまく歩くこともできなくなる。箸にしても、親指に余計な力が入ったら握り箸になりますが、これって親指が動きを止めるブレーキの役割を持っているからだと思うんです。 一方、小指を握ると逆に力が入るじゃないですか。剣もそうでしょうし、バットやドライバーもみんな小指で力の入れ具合をコントロールしている。ですから、こちらはアクセルだと言えるはず。末端の刺激が体幹部に伝達され可動域がアップ。
身体の節々を押さえることが、文字通り、コツ(骨)をつかむこと。
優れたボクサーは、みんな鎖骨を使ってパンチを打っていますから。走る場合だって、鎖骨が使えていれば体幹が勝手に動き、腕を振ろうとしなくても振られる感じになります。
大事な役割を持った鎖骨を、わざわざ動けなくしているのが、いまの体幹トレーニングなんです。体幹トレに、腕立て伏せのような体勢をキープし、インナーマッスルを鍛えることを目的にしたものがありますが、両腕を立てて鎖骨が動かせない状態にしているわけですから、いくら続けても動ける身体にはなりません。 鎖骨を使えるようにするには、そうやって固めてしまった筋肉、ポイントは烏口突起(肩甲骨の一部で上腕骨との接続部に位置する)のあたりなんですが、ここをゴリゴリと強くほぐす。すると鎖骨が自由になり、肩甲骨全体が自然に動き出す。
団扇をあおぐとパタパタと扇の面が動きますが、その動きの大本になっているのは柄の部分ですよね。人の身体で言えば、この柄の部分が骨、扇の部分が筋肉にあたると思うんです。 だから、柄(骨)をちょっと動かせば扇(筋肉)がラクに動くのに、ほとんどの人が柄を動かすことを忘れ、扇を分厚くしたり直接動かそうとしたり、とんちんかんなことをやっている。大元を動かせば身体は自然に動くのに、みんな逆をやっている。
骨ストレッチ実践
★基本ポーズ ①親指と小指で反対側の手首の グリグリ(尺骨と橈骨の先端) を押さえる ②押さえられた側の手の親指と 小指をつないで輪をつくる ※そのまま手を前に出し、ブラブラと振るだけでも十分なストレッチ効果がある ★エクササイズ1 手首肩甲骨ストレッチ ①肘を直角に曲げた状態で「基本ポーズ」をつくる ②そのまま後方に身体をひねる ※反対側の手も同じ動作を繰り返す(7回 1セットが目安)
①手を握り、親指以外の4本の指で拳をつくる ②拳のギザギザの部分で肋骨の一帯を強めにマッサージする ※パートナーどうしで行うと深部までほぐれ、可動域が広がりやすくなる
①肩幅に足を開いて立ち、両手の親指と小指で鎖骨の両側の出 つ張った部分を上下に押さえる ②正面を向いたまま身体を左右にひねる(10回 1セットが目安)
見えないものを見る姿勢
骨を意識する感覚がなかったら、筋肉の硬化に対処できず、身体のこともここまでわからなかったかもしれません。 筋肉が収縮して動くというのは、すごくイメージしやすいわけじゃないですか。でも、イメージしやすいっていうことは、その分、発想の限界もきやすいと思うんです。筋肉の収縮ということを前提にするだけで、身体の動きはある程度合理的に説明できてしまいますが、そこで終わってしまう。 でも、実動作の間にギャップがある以上、その理論だけでは答えられない問題がいくらでも出てくる。安易に理由付けをしてしまう悪癖が、いまの時代の行き詰まりの元にあるんじゃないかと思うんです。安易な理論が広まったおかげで、現場は混乱し、無駄な労力が費やされてきた気がします。 骨の動きは、筋収縮のようにわかりやすくありませんし、ちょっと手のつけようのないところがあるから、簡単に限界が作れない。骨というとらえがたいものに向き合っていくことで、自分のなかの限界をヘンに作らないで済むという気はしますね。 まさにやりがいのある、開拓しがいのある領域。
目に見える筋肉は陽、目に見えない骨は陰、目に見えないものが目に見えるものを支えている、その一つの現れが骨と筋肉の関係の中にある。例えとして合っているかはわかりませんが、神社で手を合わせても神様が見えるわけではないじゃないですか?でも、昔の人はそこにいると思って拝んできたわけですよね。 筋肉という目に見えるものしか信じてこなかった私が、骨という目に見えないものを信じるようになった、その感覚は神社やお寺で手を合わせてきた日本人の感覚とつながっているように感じる
自分の身体と体話(対話)しながら、ボーッとしていると、ある瞬間、身体のほうが反応してくれて、「ああ、こういうふうに動くといいのか」という答えが出てくることがある。
身体をねじった時に生じる反力やタメで動作をするのがまだまだ主流ですが、身体を一つ一つのパーツに割って、それぞれが連動しながら動いている状態と考えて動いたほうが効果的に動ける
これからは目に見えない世界(=骨)に焦点を当てることで、目に見える世界(=筋肉)の限界を破る必要があるのかもしれません
骨身にまかせ、いままでと180度違う力の出し方を身につけることで、體の一番中心にある骨組みを連動させ、インナーマッスルを活性化させる、人間が持っている本当の力を導き出す「コツ(骨)」を体得できたのです。 それまでの私は、手足の筋肉を目一杯使って力を出そうとしていましたが、鎖骨や肩甲骨、肋骨、骨盤、背骨などのすべての骨を連動させて動力を作るほうがラクであり、疲れ方が全然違うことに驚かされます。 そもそも、いいプレーやいい動作ができた時ほど息の上がり方も少なく、體の疲れも最小限であるはずです。「武術」と聞くとスポーツ選手は無関係と思う人が多いと思いますが、じつは身体感覚を磨く宝庫。
現代は、エビデンスがなければ信じない世の中になり、自分の體の声を聞くことをないがしろにしてきました。その結果、数値や数字だけを信じるようになり、體から発する微細な反応を感じることを封印してきました。それは「脳」が喜ぶ世界であり、決して「體」が喜んでいる世界ではないのです。 答えをすぐに求める社会になった現代で、もしかしたら一生、正しい答えが出ないかもしれない世界が體なのかもしれません。
苦しいスポーツから楽しいスポーツへ。
